現在、日本語教師をしながら日本語学習用のwebサイトを作っているわけですが、今日はここ至るまでの道のりを書いていこうと思います。
とりあえず分かりやすいように、ざっと書き出してみると・・
京都外国語大学 外国語学部 日本語学科
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新卒で旅行会社に就職 数ヶ月勤務(笑)
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アパレル販売員 3年
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オーストラリアの日本語学校 2年
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大学院 日本語教育研究科 修士課程/大学のTAやチューターなど
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現在に至る
日本語教育と関わり始めたのは、大学1年生の時になりますが、その当時の私は本気で日本語教師になりたいと思っていなかったので、結構いい加減な大学生活を過ごしてしまいました。
学部4年の最後のほうに、やっと日本語教育に興味が出てきたものの、「日本語教師の仕事だけで生活していくのは難しい」というのをクラスメートが話しているのを鵜呑みにして、あっさり諦め、そのまま就職したのでした。(まあ、そこまで本気じゃなかったということですね😂)
そのあとフラフラ目的なく過ごす日々が続いていましたが、やっぱり日本語教師になりたいという気持ちが増していき、英語も話せるようになりたいと思ったことから、オーストラリアに行くことを決心しました。
オーストラリアに行ったときは、ほぼ実践経験がなかったため、主任の先生にビシバシと指導をしてもらい、毎日夜中まで教案を書いたりしていました。経験がなかったため、頂けるお給料は限られていたので(本当に少なくて泣いてました😭)生活していくために朝から夕方まで、日本語に全然関係ないバイトをしていて、夜しか教案を書いたり、授業の準備をする時間がなかったんです。
なので、最初の数ヶ月は、早起きして、直した教案を日本語学校に持って行き、バイトに行って夕方まで働いて、そのあと夜21時くらいまで日本語学校で働いて、家に帰ってきてから主任に添削してもらった教案を直しつつ、次の教案を書くという生活を続けていました。今書き出しただけでも疲れてきます・・😨 それくらい、忙しかったですが、授業をしているときは、それまで感じたことがないくらい楽しいと思える時間でした。そこで、「あ!やっぱり私は日本語教師になりたかったんだ!」と思うようになりました。そういう楽しさがモチベーションになって、睡眠時間が多少短くなろうとも、ふんばれたました。
それから2年間で担当させてもらえるクラスも増えて、最後の方は1週間に25時間以上、週6日勤務させてもらい、日本語を教えることだけで最低限の生活はしていけるようになりました。
オーストラリアで日本語を教え始めて1年が過ぎた頃、今後も日本語教師としてやっていこうと確信するようになったので、日本での修士号取得を考えるようになりました。
この次の大学院生活で、日本語教育の広さ・深さを目の当たりにして、いろんな意味でショックを受け、いろんな刺激をもらいました。ちなみに、胸をはって大学院に行ってよかったと言えます!時々、院生活が恋しくなったり、博士に進学したいなと思うこともありますが、私がやりたいこと(webサイトを作ること)に博士号は必要ないので、今は進学は考えていません。
「博士号持ってる」って言えたらかっこいいのになー。言ってみたいなーとか思うんですが、そんなに甘くないことは修士で思い知ったので・・😅
今後、修士課程在籍中に印象に残っていることなども書いていこうと思います。